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2016-04-26
少し前に、大事な人から聞かれた「あなたが大事にしてる言葉」は何ですか?
というお題に対して、答えた言葉。
そういう質問には、大抵、ちょけて答えちゃう僕だけど、
大事な人の質問だから、真剣に答えなきゃなと思った。
しかし、考えたものの、思い当たらない。困ったんだけど、この言葉を選んだ。
『自由 奔放 心 高めよ』
石垣島で変なおじさんが貝に書いて、売ってたモノをいいなと思って、買ったモノ。
事務所に置いてある。
『自由奔放』って、改めて調べてみた。
「人の目や世間のしきたりなどを気にしないで、自分の思うとおりに行動すること」
曲がり間違っても、自己中心的に、ワガママに振る舞うとか、
周りの人の事を考えず、行動するとかいう意味ではない。
パッと見、そう思われちゃいがちな僕だけど。
自分の想いに素直に、自分の真ん中にある想いを根っこにして、自由に枝を伸ばす。
自分を解放する?って感じ?
まさに、「人の目や世間のしきたりなどを気にしないで、自分の思うとおりに行動すること」
次は、『心を高める』について、書いた人の気持ちは知らない。
心を高めるって、すごく抽象的で、ボンヤリした言葉だけど、崇高な心とかじゃなく、上へ上へって感じの高めるでもなく、純度を高めるだと思うんです。
キレイな心という意味とか、純粋という意味でもなく、オンリーワンな心の純度。
僕らしい、僕ならではの、僕だけにしか持ちえない心。
自分にしか辿り着けない心の領域っていうか。
そもそも、人それぞれ、思考も違えば、行動も違う。
その上、同じ行動をしても、同じ景色を見たとしても、
人それぞれによって、心にうつる景色は違ったりする。
今までの知識、経験が邪魔したり、感じるという感受性が鈍っていたり、心が受け入れる体制になってなかったり。
一人しかいない自分という人間のその人しか持ちえない心の純度。
自分らしい、自分ならではの、自分だけにしか持ちえない心の純度を高める。
では、改めて、『自由 奔放 心 高めよ』
多くの人もそうだと思うんだけど、周りに対して、気を遣いすぎたり、
人の目を気にしすぎたり、どうでもいいコトに振り回されたり、周りや環境のせいにしてしまったり。
できる限り、自分に自由にやらせてあげればいい。
それくらいしかないんじゃないかな?限りある人生の中で、自分が自分にさせてやれる事は。
自分で自分の限界を決めない。
自分で自分をガッカリさせない。
自分で自分を諦めない。
その上で、自分の面倒は自分でみる。
すべての事を、すべての判断を、すべての責任を他人に委ねない。
そして、できる限り、時間の許す限り、体力と財力の続く限り、
いろんなとこ行ったり、いろんな人に会って話したり、いろんな仕事させてもらったり。
生きる中で経験する、たくさんの事を糧にして、自分の心に映った景色のひとつひとつを感じとって、
しっかり丁寧に咀嚼して、心を高める。
有り難かったコト、
良かったコト、悪かったコト、
うれしかったコト、嫌だったコト、
傷つけたコト、傷つけられたコト、
リスペクトされたコト、ディスられたコト、
そのすべてから、そのすべての原因から目をそらさず、逃げずに心で受け止める。
すべての原因は、きっと自分の中にあるから。
すべての原因は、自分の心の有りようにあるから。
そうやって、心を高める。
わかりやすく言うと、『生きたいように生きて、そのすべてを、しっかり心に反映させる』
それに尽きるなと。
こうして、文字に起こすと、宗教っぽくなったり、哲学めいてて、難しいコトのように思えるけど、
やってるコトは、すごくシンプルなコトだから、面白い。
まだまだ、修行中の身ですが、こんなコトを思って生きてます。