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僕が大事にしてる言葉。

少し前に、大事な人から聞かれた「あなたが大事にしてる言葉」は何ですか?

というお題に対して、答えた言葉。

そういう質問には、大抵、ちょけて答えちゃう僕だけど、
大事な人の質問だから、真剣に答えなきゃなと思った。
しかし、考えたものの、思い当たらない。困ったんだけど、この言葉を選んだ。

『自由 奔放 心 高めよ』

石垣島で変なおじさんが貝に書いて、売ってたモノをいいなと思って、買ったモノ。
事務所に置いてある。

『自由奔放』って、改めて調べてみた。

「人の目や世間のしきたりなどを気にしないで、自分の思うとおりに行動すること」

曲がり間違っても、自己中心的に、ワガママに振る舞うとか、
周りの人の事を考えず、行動するとかいう意味ではない。

パッと見、そう思われちゃいがちな僕だけど。

自分の想いに素直に、自分の真ん中にある想いを根っこにして、自由に枝を伸ばす。
自分を解放する?って感じ?

まさに、「人の目や世間のしきたりなどを気にしないで、自分の思うとおりに行動すること」

次は、『心を高める』について、書いた人の気持ちは知らない。
心を高めるって、すごく抽象的で、ボンヤリした言葉だけど、崇高な心とかじゃなく、上へ上へって感じの高めるでもなく、純度を高めるだと思うんです。
キレイな心という意味とか、純粋という意味でもなく、オンリーワンな心の純度。

僕らしい、僕ならではの、僕だけにしか持ちえない心。
自分にしか辿り着けない心の領域っていうか。

そもそも、人それぞれ、思考も違えば、行動も違う。
その上、同じ行動をしても、同じ景色を見たとしても、
人それぞれによって、心にうつる景色は違ったりする。

今までの知識、経験が邪魔したり、感じるという感受性が鈍っていたり、心が受け入れる体制になってなかったり。

一人しかいない自分という人間のその人しか持ちえない心の純度。
自分らしい、自分ならではの、自分だけにしか持ちえない心の純度を高める。

では、改めて、『自由 奔放 心 高めよ』

多くの人もそうだと思うんだけど、周りに対して、気を遣いすぎたり、
人の目を気にしすぎたり、どうでもいいコトに振り回されたり、周りや環境のせいにしてしまったり。

できる限り、自分に自由にやらせてあげればいい。
それくらいしかないんじゃないかな?限りある人生の中で、自分が自分にさせてやれる事は。

自分で自分の限界を決めない。
自分で自分をガッカリさせない。
自分で自分を諦めない。

その上で、自分の面倒は自分でみる。
すべての事を、すべての判断を、すべての責任を他人に委ねない。

そして、できる限り、時間の許す限り、体力と財力の続く限り、
いろんなとこ行ったり、いろんな人に会って話したり、いろんな仕事させてもらったり。

生きる中で経験する、たくさんの事を糧にして、自分の心に映った景色のひとつひとつを感じとって、
しっかり丁寧に咀嚼して、心を高める。

有り難かったコト、
良かったコト、悪かったコト、
うれしかったコト、嫌だったコト、
傷つけたコト、傷つけられたコト、
リスペクトされたコト、ディスられたコト、

そのすべてから、そのすべての原因から目をそらさず、逃げずに心で受け止める。

すべての原因は、きっと自分の中にあるから。
すべての原因は、自分の心の有りようにあるから。

そうやって、心を高める。

わかりやすく言うと、『生きたいように生きて、そのすべてを、しっかり心に反映させる』

それに尽きるなと。

こうして、文字に起こすと、宗教っぽくなったり、哲学めいてて、難しいコトのように思えるけど、
やってるコトは、すごくシンプルなコトだから、面白い。

まだまだ、修行中の身ですが、こんなコトを思って生きてます。

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