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2017-06-02
思春期の頃から、自分の存在や立ち位置とかって、実に不安定で、
自分のアイデンティティーなんて、ずっと朧気で、
なんでだろう?僕は何なんだろう?って思って、ずっと、生きてきた。
生まれてこのかた、ずっと、不安だった。んだろうな、きっと。
僕ら人間は、地面に根っ子を生やさずに生まれてきたから、
当然と言えば、当然なんだけどね。
だからさ、そもそも、一人間の存在や立ち位置なんざ、所詮、不安定で朧気なんだと思う。
だからこそ、人々は、不安定な自分の存在や立ち位置を安定させるべく、
足元を踏み固めたり、自分の周りを固めたりしようとするんだろうけど。
安定こそが安心。
それがすべてだとさえ思っていた、今までの社会のあり方なんかが崩壊してる。
それが当たり前だとさえ信じていた、今までの常識、価値観なんかが通用しない。
もはや、何が正しいかなんかわからない。
不安に思っていたり、迷っている人も多いはずだ。
幸せって何だっけ?
小さい頃から教えてもらっていた感じと、なんか違う。
幼き頃、夢見ていた未来とは、なんか違う。
僕は、ついに、理解したな。
こうなったら、立ち位置なんて、決めなくていいんじゃないかなって。
ここ数年、本能的に、自分がそんな行動を取り続けてきた意味を、やっと自分自身が理解した。
自分自身の存在の輪郭や、立ち位置なんて、曖昧なままでいいんじゃないかって。
例え、不安定だとしても、どこにだって立てる自分になる事を目指したいなって。
どこにいても、自分であれる自分を目指したいなって。
やりたいコトを全力でやって、ありのままのすべてを咀嚼して、
いろんな感情を引きずってでも生きて、ただ、自分自身を磨き続けて、
自分の存在の輪郭なんて曖昧なままで、柔軟に、強く、そして、しなやかに生きたいなって。
心が先に気付いてくれて、行動に移してみて、ついに、頭が追い付いたよ。
最高の流れで、僕の頭が理解した。
ああ、ついにね。